隣から聞こえてくる呻き声で、その日は目が覚めた。
青年がぱっと瞳を開く。それから、ゆっくりと隣の牢へ視線を向けた。そうしても、見えるのは無機質で薄汚れた壁のみ。
「う、ぁ」
その厚い壁に阻まれていてもなお聞こえるその声。
「いやだ、殺さないで!」
驚いたことに、隣に居たのは年若い少年だったらしい。変声期前の高い声が響く。叫び声を聞くのは珍しいことではなかったが、こういった懇願を聞くのは初めてだった。
「あんな子供がなにやったんだか」
呆れの滲み出た声音で青年が呟く。それから、冷たい壁に背中を預けて座り込んだ。それと同じくして、ぱたりと声がやんだ。辺りを包むのは痛いほどの静寂。時々、遠くから聞こえる嘆きの声。
何日経ったのだろうか、と青年はひとりごちた。
この地獄のような場所に連れてこられてから。幾日が経ったのだろう。
青年は壁と同じ色の天井を見上げた。何もすることが無かった。
その時、青年は背に振動を感じた。先ほどの少年の牢とを隔てる壁。
「いやだいやだいやだ」
耳に届いたのは、呪いをかけるように紡がれる言葉。時折混ざる嗚咽。そして、がりがりという壁を引っ掻く音。
「……っ」
小さく息を呑んで、反射的に青年は壁から離れた。いくらか距離をとったところで、つい先ほどまで座り込んでいた場所を凝視する。
動悸が早まる。喉元に手を当てる。息が上がっていた。
「いやだいやだいやだよ母さんいやだよ」
少年の声と音は止まない。言葉の間に『母さん』という叫びが挟まれる。壁を掻き毟る音がだんだんと鈍くなっていく。少年の手がどんな状態になっているのかは、想像したくなかった。
いよいよ叫びが激しさを増した時、青年はばっと腰に手をやった。手が、空を掴む。
「――あ」
気の抜けた声を漏らして、青年は苦く笑った。
「そうか……あるわけがない」
それから、脱力して右手を見つめる。暗闇でもわかる硬くなった皮膚。
「馬鹿だ」
脳裏の浮かぶのは、一本の剣。それと、豪快に笑う男の姿。
きっと、もう逢うことの無い人。
「約束、破ったことになるな」
あの男はどうするだろうか、と青年は目を閉じる。
約束を破る日が来るとは――あの剣を手放す日が来るとは思いもしなかった。いつも共にあったものがないだけで、こんなに不安になるなんて。
右手を強く握り締める。それを額に当て、青年は呟く。
「俺は」
こんなにも弱かったのか。
いつの間にか、隣からは何も聞こえてこなくなっていた。
束の間の静けさ。きっとすぐに、誰かが叫びだすだろう。誰もがそう思う憂いの時。
叫び声の絶えないその場所――死刑を約束された罪人が収容されるところ。
一筋の光さえ見ることを許されないそこは、王都の地下にある囚獄。
誰かがすすり泣く声が響いた。
青年はふと後ろを振り向いて、静かに目を閉じた。
黒い涙
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祈りと呼ぶには、あまりにも切実で
09/07/28 Thank you for reading.