それから毎日少女はやってきた。
 毎日、と青年がわかるくらい頻繁にやってきたのだ。少女を通して、青年は日にちを数えられるようになった。
「どうして毎日来る必要がある?」
 数えで三日目。青年が問うと、少女はきょとんと首を傾げた。
「私はここの看守になったのだもの。当たり前のことでしょう」
「前のやつなんか、あー……そうだな、七日に一度ぐらいしか来なかったのに」
「ああ、あの人ね」
 と少女は投げやりに呟く。皮肉気な微笑をひとつ。
「今ごろ部屋で、ぬくぬくとお昼寝でもしてるんじゃなくて?」
「それは大出世だな」
 青年も肩を竦める。格子を隔てて、二人は笑った。笑い声の残響が消えると、再び静寂が訪れる。ふと力を抜いて、
「……静かね」
 少女が呟くと、青年は無言で顔を向けた。隣の牢とを隔てる壁へと。
 声は聞こえない。衣擦れの音も聞こえない。
「そうだな」
 少年は、既にそこにいなかった。この牢獄から出ることができたのだ。
 少女は無表情で淡々と言う。
「精神的なショックだったそうね」
「ふうん」
「知らないの?」
「教えてくれる人がいない」
 そうだったわ、と少女は軽やかに笑った。
 決して響きの良くない地下で、その声は涼やかに通る。青年は目を細めた。
「あんたの声は嫌いじゃない」
 それから、唐突に告げる。
 高く澄んだ声。柔らかな光で雲を掻き分けるように、少女は話す。耳を刺すような攻撃的な喋り方を、彼女はしない。
 看守の座る椅子に腰掛ける少女は、罪人であるところの青年を見つめた。
「それはどうも」
 嬉しそうに、でもどこか自嘲気味に笑う。僅かに首を傾げると、少女は悪戯っぽく目を輝かせた。
「私ね、歌姫になりたかったの」
「へえ」
 突然の告白だったが、青年はちょっと目を見張って、それから小さく頷いた。
「どうりで通る声だ」
「ふふ、そう?」
 楽しそうに笑い声を立てて、少女は伸びをした。
 自分から話を振ったくせに、あまりその話題に触れて欲しくなさそうだった。
 そういう女だよな、と青年はひとりごちる。
 この何日間かで彼女についてわかったこと。それは、気分屋で物怖じしない性格だということぐらいだったが、それで十分人間性は理解できた。
 ふう、と一息つくと、何故かあの少年のことが浮かんできた。
「羨ましいな、外に出られるのは」
 小さな呟きだったが、思いのほか大きく響いた。
 死ねば出られるんだな、と言おうとしたが、言っても意味の無いことに気付いてやめた。
 


 
 しばらくして、行き成り少女が明るい声を出した。
「今日はいい天気ね」
 青年は驚きのあまりに、一瞬思考が停止した。
 ――あまりにもな話題だった。
 窓のないこの地下牢で、あてつけの様に明るく外の話をする。理解できたと思っていた少女が、わからなくなる。
「どこが」
 青年が吐き捨てるように答えると、少女はにこりと笑みを浮かべた。
「怒った?」
「別に」
「そう」
 問い掛けておいて、さして興味もなさそうに答えを一蹴する。
 何なんだ、と青年は呆れ気味に思った。
 対する少女はというと、何故か牢を出る支度をしていた。あえて青年が何も言わずにいると、
「外に出れたって、空が見れないんじゃ意味がないわ」
 唐突に凛とした声が響いた。
「え?」
 驚いて少女を見ると、少女は出入り口の方をじっと見据えていた。その真っ直ぐな視線にどきりとする。
「死んだら全部お終い。それなら、天気がわからなくたって、生きてる方がいいに決まってる」
 唖然とする青年を最後にちらりと一瞥して、少女はカツカツと歩いていった。


 
 ゴトン、という扉の閉まる重い音に、ふと我に返る。
 多分、間接的に言おうと努力したけれど結局直球で行くことにした、という具合だろう――なんて、青年は冷静に分析した。
 ごろりと寝転がる。いつからか、床の汚れは気にならなくなっていた。

 ――泣くのかと思った。

 漠然と、青年は思った。生きてる方がいい、そう言った声が僅かに震えていたから。
 はは、と乾いた笑い声が口から漏れる。
「言い逃げかよ」
 しかも、最後のあの視線。あれは、
「ふざけるな、ってことか」
 
 ――あなたもそう思うでしょ?
 
 強気な問いかけが聞こえてくるような、そんな視線。
 唇の端を吊り上げて、青年は薄汚れた天井を見上げた。
 窓が無いから光が無い。当然、空なんて見えないから天気がわかるはずもない。
 
 それでも、外に出られなくても、彼女がいる。
 
「なるほど」
 檻の中に、獣の様に捕えられた青年は呟いた。
 
 ここもそんなに悪くない。








閉じた世界
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  09/10/09  Thank you for reading.