登校時間、8時。
今の時刻、6時45分。

コツコツと、一人分の足音が廊下に響く。
早く来過ぎた学校に寂しさを感じることもなく、詩也は自分の教室へと向かった。
いつの間にか、足音が2人分に増えていた。
「おはよ……詩也君」
後ろから聴こえた眠そうな声に、少年は振り返った。

「ん、おはよ」

少年――渡瀬詩也の朝は、この少女の挨拶から始まる。






空気みたいな。
俺と緋里が出会ったのは、なんてことないクラス替えだった。 でもってたまたま席が隣になった、というだけだったりする。 更に付け加えると、登校時刻も一緒だ。(早すぎる俺らの登校時刻は、全校でトップだ。) 「緋里」 名前を呼べば、少女――緋里はカバンから物を出すのをやめて俺を向き 「なに?」 と、小首を傾げる。 それを可愛いなあとか思いながら、 「………非常に言いにくい…ことなんだけど」 パンッと両手を顔の前に合わせた。 「数学の宿題見せてっ!」 ………沈黙。 無言。 「あ、緋里?」 不思議に思って顔を上げてみると、 「……び」 何故か驚いた表情で固まっていた。 「び?」 何か変なことを言っただろうか――いや、宿題見せたくないとか? 「吃驚、した……音に」 どうやら手を合わせたときの音に吃驚しただけらしい。 「ごめん……聞いてなかったから、もう一回」 申し訳なさそうに言われると、逆にこっちが困る。 「あー……数学のノート、貸してくれるか?」 「うん、いいよ」 緋里はいそいそとカバンからノートを取り出し、 「はい」 と渡す。 「さんきゅ」 両手でしっかりと渡してくれたことが妙に嬉しくて、俺は自然と笑っていた。 「どういたしまして」 彼女も小さく微笑んだ。 どこか不思議な感じのする緋里は、クラスにまだ馴染めていない。 だから、クラスでは俺が一番仲が良い……と思う。 もしかしたら全校規模で、かもしれない。 それに少しだけの優越感。 ――なんてことを考えながら数字の羅列を写していく。 いつの間にか、緋里は準備を終えて本を読んでいた。 ふと手を止めて、 「その本何ていうやつ?」 って訊いてみた。 「ん?……これ?」 「そう。それ」 緋里は栞を挟んで表紙を俺に見せてくれた。 「『かるいお姫様』っていうの」 なんかふわふわ浮かびそうな名前だな、とか思った。 「ふうん……」 「だけど、私は……もうひとつのお話のほうが好きだなあ」 ゆっくりと微笑む。 そう言われると……知りたくなる。 「何ていうの、その話」 「『昼の少年と夜の少女』」 なんだか幻想的な題名だ。 本はあまり読まない俺だったけど、最近はよく図書室に行ったりする。 理由はいたって単純。 「……もし、よかったら」 「ああ。借りて読んでみる」 緋里が読んでる本が読みたいから。 「……感想、聞かせてね?」 「おう」 緋里が感じている世界――彼女の世界に、少しでも浸っていたいから。 彼女の言葉に笑って同意すると、彼女は嬉しそうに笑って、また本を読み始めた。 俺もまた数字との格闘に戻るとしよう。 7時30分になった。 まだ、クラスメイト達は登校してこない。 いつもならボチボチ来るころなんだけど。 ちらりと緋里を盗み見ると(悪趣味だなんて言うなよ)本から顔を上げてぼうっと何処かを見ていた。 しばらくその横顔を見つめていたけど、一向に気付かない。 何故か少し苛立って――というか俺を見て欲しくて、 「どうかした?」 って訊いてみた。 彼女はゆっくりと顔をこちらに向けて、 「ちょっと、空気見てた」 って綺麗に笑った。 今この瞬間、俺に澄んだ瞳が向いている間も、空気はふよふよとそこらへんに居る。 俺と彼女の間に壁のごとく突っ立っている(いや、座ってるのかも)。 俺は思った。 ――いくら俺でも、空気には勝てねえ……。 3人分ぐらいの足音が、だんだん大きくなってきて、緋里と俺の時間に終わりを告げようとしていた。
こんにちはー。 久しぶりの小説更新ですねー。 執筆時間は1時間ほどです。 前々から書きたかったネタなので良かったです。 結構楽しかったですよー。 空気見てた……ってすごい天然ちゃん。 あー面白かった!   07/11/17  Thank you for reading.