僕の居場所は『空にある』のではなく、『空そのもの』だったのだ。

 ぱあ、と晴れた視界の真中。
 無理やりに怒った顔をつくって、空は僕のほうに近づいてきた。
「空」
 呼びかけると、その足がぴたりと止まる。俯きがちに、空は何事かを呟いた。
「……何? ごめん、よく聞こえな――」
 僕が一歩踏み出して顔を覗き込もうとしたとき、ぱっと空の顔が上がった。鼻が触れ合うほどの至近距離、視線が交差する。思わず少しだけ下に眼を逸らして、僕ははっとした。

 ――頬に残る、いくつもの涙の痕。

 それに目を見開いた瞬間、僕は思い切り突き飛ばされていた。
「ふざけんなっ!」
 空の激しい声が耳に届く。
「ほんと、この……っ」
 よろめいて倒れこむ。頬が床にがっと擦れた。カツカツと近づいてくる足音。
「っつう……」
 小さく呻いて身体を捩ると、すぐ近くに足が見えた。
 蹴られる、そう思った。思わず固く目を瞑る。
 ――衝撃はこなかった。
 ただ、床に転がった手に、ぽたりと雫が落ちてきた。
「……お前、ほんとに…っ」
 震える声が降ってくる。口を開いて、顔を上げかけたその時、
「馬鹿」
 ――どさりと空が落ちてきた。
 まともにその身体を受け止めて、僕は思わずうっとうめいた。
 それから覆い被さるようにして、僕の身体の横に空の手が置かれる。身体にかかる重みは減った。けれども――
「……女の子相手ならかなり嬉しい状況なんだけどね」
 ぼそりと呟くと、空は本気で怒ったようで
「おま……っ」
 大きな声を出した。それでも、途中まで言いかけてまた顔を歪ませた。

 ――こうして空の泣き顔を見るのは、初めてだった。

 空はいつも一人で泣いていたから。
 僕たちは繋がっているから、どこにいても気付くのに。
 意地っ張りな彼はいつも一人で泣いていた。

 一筋、空の頬を涙が伝う。それを見たら、思わず口に出していた。
「ごめん」
 再び空の口が開かれる前に。
「ごめん」
 空は、呆然と目を見開いていた。溢れた涙がひとしずく落ちる。
「………空?」
 何をそんなに驚いているのか。
 もうひとしずく涙が頬に落ちて、僕は無意識のうちに手を伸ばしていた。
 そのとき。
「えっ」
 ぐいっと強く手を引かれる。身体が浮いてできた隙間に、空の腕が差し入れられる。
 ぎゅう、と強く抱きしめられて僕は思わず声を上げた。
「い、っつ」
 空が叫ぶ。
「蒼!」

 抱擁の痛みも忘れた、その一瞬。
 全身を駆け巡る衝撃。
 どうして、視界が滲んでくる。

 ――何か酷いことを言った気がする。

 『空の蒼』なんて嫌だ、と言って『空』から飛び出した様な気がする。
 全て、僕が勝手に起こした行動。
 空の付属品としてではなく、僕自身を見てほしかった。

 結局は、周りが見えていなかったのは僕で。
 みんなに助けられて、ここに帰ってきた。

 ぽんぽん、と空の背中を二回だけ叩いた。
 それから、

「ただいま」
 
 空は、顔を上げずに「おかえり」と少しだけ鼻にかかった声で呟いた。







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  09/07/28  Thank you for reading.